THERMOS

サーモスの歴史 1910年代の暮らしとサーモス

  • サーモスが創立された1900年代初頭は世界が大きく変わろうとして時代でした。とくに1910年代は第一次世界大戦が勃発するなど、世界中が大きく混乱し、変化した時代でした。サーモスの広告もそうした当時の社会と人々の暮らしが反映されたものになっています。

車社会を先取りした広告

  • この写真は1911年のアメリカでのサーモスの広告です。いろいろな生活シーンでのサーモス製品をイラストで表現しています。紹介されている製品は水差しタイプのカラフェ、水筒タイプのボトル、そしてランチボックスとボトルがセットになったランチキットです。

    ここで注目したいのは、車のイラストです。ランチキットにサンドウィッチやコーヒーを入れて、車でレジャーにでかけるという姿が描かれているのです。

  • 車のイラストはフォード・モーター社のT型フォードと呼ばれているモデルです(写真2)。1908年に登場し、大量生産と自動車の大衆化を推し進めた車です。このアメリカ自動車社会のきっかけとなったモデルが、1911年の広告にはすでに描かれている点が興味深いところです。

  • 写真2

アメリカの暮らしや生活を見る

つぎに1915年の広告を見てみましょう(写真3)。ここでは家族みんなが使えるということをイラストで表現しています。ひとつの家族がいろいろなシーンで魔法びんを利用しており、当時のアメリカの家庭やライフスタイルを垣間見ることができます。

つづけて1916年の広告(写真4)では、夏のシーンと冬のシーンを対比させて、暖かいものを冷たいもどちらも楽しめる魔法瓶の性能をあらわしています。ここでは海や山、ゴルフ場でのレジャーシーンが描かれるなど、アメリカの豊かな暮らしぶりがうかがえます。

さらにもう一点、サーモスのラインナップを紹介した広告(写真5)です。ここではボトルや携帯型など製品ラインナップが急速に増えています。ライフスタイルが豊かになって多様化したこの1910年代は、サーモスにとっても発展の時代だったといえます。

  • 写真3 1915年の広告では家族みんなが使えるシーンを見せています

  • 写真4 1916年の広告では夏でも冬でも使える用途の広さを表現しています

  • 写真5 製品ラインナップが大幅に拡充したことがわかる広告も登場しています

日本の生活と魔法びんの急速な発展

では、このころ日本はどのような時代だったのでしょう。第一次世界大戦がはじまった1914年は日本では大正3年にあたります。日本はヨーロッパから遠く離れ、直接的な戦闘地域ではなかったものの、日英同盟によって戦争に参加をしました。

この時代は、世界の貿易はヨーロッパの列強が大半を抑えていましたが、対戦による混乱でアジアへの物資の供給が間に合わなくなりました。そこで日本の工業製品が輸出され、急速に発展しました。

魔法びんにスポットをあてると、1908年にはサーモスの魔法びんが日本に輸入されていました。このときの広告は「驚く可き発明なる寒暖壜」として紹介されています(写真8)。

その後、1912年ごろから日本製の魔法びんが生産されはじめました。当時は大阪がガラス工業の中心地で、その生産技術を生かして、魔法びんメーカーが大阪を中心に発展しました。

そして第一次大戦による影響で、これらの製品がアジアを中心に輸出されて、日本の魔法びん産業の基礎ができあがったといえます。

100年前に日本で最初にサーモスの魔法びんが輸入され、以来ずっと日本の家庭でも魔法びんが愛用され続けているわけです。

そしてこの後、日本の工業技術の発達が魔法びんに大きな変革をもたらせます。ステンレス製の魔法びんの登場です。次回はこのあたりの焦点をあててご紹介します。

  • 写真6 1914年にはじまった第一次世界対戦は世界中に大きな影響を与えていきました

  • 写真7 1918年の広告には、今までと違って戦争の色が強くあらわれています

  • 写真8 1908年には日本でもサーモスの魔法びんが輸入され、寒暖壜として広告されました