THERMOS

Talk & Talk

対話するものづくり。

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マーケティング部商品戦略室
商品課マネージャー 松山さん

ものづくりには、匠や職人の持つ孤高のイメージがつきまとう。しかし、現代の匠である技術者にはそんな働き方は通用しない。生産現場や協力会社、なにより製品を使う消費者・生活者とのコミュニケーションや対話が欠かせないからだ。今回は、サーモス製品の設計に携わる一人の技術者の仕事を通じ、お客様の気持ちに応えるサーモスのものづくりの真髄を見てみたい。

真空断熱豆腐メーカー(1993年発売)

新潟から遠くアジアへ。

現在、マーケティング部商品戦略室商品課で働く松山真が、サーモスの前身である日本酸素に入社したのは1995年。大学で資源工学を学んだという松山は、入社と同時に畑違いの「サーモス事業本部」に配属される。松山自身にとっては思ってもみなかった魔法びん事業という新たな旅の始まりであった。

それまで縁がなかった土地(新潟事業所)に移り、技術者としてのキャリアを歩み始めた松山。最初に手掛けた仕事は、「売れ残った豆腐メーカーをヨーグルトメーカーに改造する仕事でした」と笑う。しかし、入社から6年ほど経過した2001年、海外勤務を命じられ、ようやく住み慣れてきた新潟を離れることになって、平穏な日々は一変することになる。


Top Thermo Mfg./マレーシア

異文化に鍛えられた6年間。

松山が最初に赴いた国は、東南アジアのマレーシア。ここで技術部の管理者として着任した松山は、仕事以前に日本との文化の違いに面食らうこととなった。「マレーシアはイスラム教の国なので、部下たちも一日五回のサラートという礼拝や、ラマダンの断食を欠かさず行っています。最初はそうした習慣に対応すること自体が大変でした」と松山はいう。さらに上司として、そんな部下たちと交流を深めようにも、この国には飲酒の習慣すらない。「仕事の待ち時間に、コーラとフライドチキンで即席のパーティを開き、親交を深めたこともありました」とコミュニケーションにはずいぶん苦労を重ねたようだ。

マレーシアでの印象的な仕事として、松山はヨーロッパのメーカーから請け負ったコーヒーポットの開発を挙げた。「相手がヨーロッパなので電話会議が多く、英語でニュアンスを掴むのにはずいぶん苦労しました。向こうの時差に合わせるため残業も増えました。いま思えば勉強にはなりましたが、当時はとにかく大変だった記憶しかありません」

マレーシアで3年の赴任期間を終えた後、松山は日本に帰らず、そのまま中国の工場に転勤となった。こちらは打って変わり「飲みニケーション」の世界だった。「とくに春節(中国の旧正月)の前などになると、何課で飲みます、何部で飲みますと招待されるわけです。そこで人間関係をつくっておけば、後で仕事も頼みやすくなります。やはりメールだけでは仕事は進みませんから」。こうした一筋縄ではいかない環境で、松山は組織人としてはもちろん、他者との“対話”を大切にする技術者として鍛えられていったのだろう。

軽量設計の限界に挑む。

9年間にわたる海外勤務を終え、2010年、松山は帰国の途に就いた。古巣の新潟事業所に戻った松山が最初に取り組んだ課題は、市場のニーズであった軽量コンパクトを実現する設計技術の追究だった。松山らは製品設計を基本から見直し、金属や樹脂などの素材、その形状、容積効率などさまざまな点に改良を加えることで、目標とする軽量化を実現しようと考えた。また、技術的にハードルの高い設計については生産現場の協力も欠かせない。その点は、海外勤務で培った工場との太いパイプが大いに役立った。

こうした努力の末に生まれた製品のひとつが、ケータイマグの新シリーズ(JNL-350/500/751)。容量0.35Lで約170g、0.5Lで210gと、サーモス史上最軽量を実現した、設計チーム自慢の製品だ。松山は語る。「とくに難しかったのはボディですね。軽量化にはボディの金属を薄くする必要がありますが、そうするとボディが軟らかくペコペコになってしまう。その点この製品は、硬さと薄さのバランスを追求し、軽くて強度的にも問題のない製品に仕上げています。また、形状的にもデッドスペースを減らすことで容量を変えずにサイズを小さくし、軽量化につなげています。以前の製品をお使いの方なら、本当に驚くほど軽くなったことがおわかりいただけると思いますよ」と製品の完成度には胸を張る。

お客様を喜ばせるサプライズを。

松山が設計において、自身にルールとして課しているこだわり。それは、製品に何か新しい要素をひとつは加えることだという。「お客様が使っていて嬉しいと思えることですよね。例えば軽くなったとか、フタが開けやすくなったとか、お手入れが簡単になったとか、そういった要素を必ず入れていきたい。できれば一製品において最低ひとつは特許を取るつもりでやっています」と松山はそれが設計者としての義務であるかのように強調する。

そんな松山にとって、顧客の気持ちを掴むアンテナは意外と身近なところにあった。海外赴任中も常に苦労を共にしてくれた家族たちだ。「家族に新製品を渡してみると、思いがけない反応が返ってくることがあるんです。自信を持って設計したボトルのロックだったのに、子どもにはわかってもらえず開けられないこともありました」

「サーモスの製品づくりは、機構、安全、デザインなど幅広い知識が要求されると同時に、身近な人からダイレクトな反応が聞けるところがとても面白い」と語る松山。設計チームが新潟から東京へ移ったいまも、「お客様を驚かせたい」と、さらなる改良への意欲は衰えていない。海外経験で鍛えた技術力とコミュニケーション能力を武器に、次はどんなサプライズを製品に仕掛け、私たちを喜ばせてくれるのだろうか。