木村東吉のサーモスを巡る旅〜 被災地への想いを届ける500kmのラン

1995年1月17日早朝。阪神淡路大震災が発生。木村東吉さんには馴染みのある街、神戸でも甚大な被害が出ました。その16年後には東日本大震災が発生。支援の輪を神戸から東北に届けるためにチャリティーランを計画。温かい支援の輪が広がりました。

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トレイルやロードなど、日本中、そして世界中を走っている木村東吉さん。東日本大震災で被災した人たちに、元気を届けるために行ったのが河口湖から神戸までのチャリティーラン。これは、「OneWorld」と呼ばれる全国からの支援を東北に届けるプロジェクトでした。過酷な500kmのランを支えてくれたのは集まってきた支援者の輪、そしてシャトルシェフの温かい食事でした。

1995年1月17日、「阪神淡路大震災」が発生した。その時のことは今でも鮮明に覚えている。その日の朝、ボクは河口湖の隣村である忍野村の工務店に居た。そこで新たに建築する我が家の打ち合わせをしていたのだ。

そんな時に神戸を震災が襲い、大きな被害が出た。

ボクは大阪生まれで、二十歳までそこで暮らした。十代の頃は神戸の町でもよく遊んだ。そんな馴染み深い所が被災し、多くの犠牲者が出た。震災後に生活に不便を強いられている人たちも大勢いる。なにかしら自分もチカラにならなければと思った。だがボクは幼い3人の子どもたちを連れて河口湖に移住するところだった。結局は個人的事情を優先させ、神戸に赴くことはなかった。

このことはボクの心の中で小さな棘として残り、暗い陰を落とした。

それから16年後の2011年の3月11日、「東日本大震災」が発生した。その後、すぐに神戸で暮らす片山敬済氏から連絡が届いた。

「神戸から東北までバイクに乗ってバトンを繋いで、日本を一緒に元気づけないか」

片山氏は、かつてWGP(ロードレース世界選手権)で世界の頂点に立った伝説のライダーである。その片山氏が被災地を勇気づけるために、バイクでバトンを全国に繋げる「OneWorld」というプロジェクトを立ち上げた。

かつてはボクも大型バイクに乗っていた。もちろん片山氏はそのことを知った上で、ボク にバトンリレーの参加要請をしたのだ。だがもうその時、ボクはバイクには乗っていなかった。バイクには乗っていないが、今度こそ被災地のために何かを……なんでもいい、ボクにできることがしたい! それが自身の心の棘を抜き取ることに繋がるかどうか、己の贖罪がなされるかどうかは別にしても。

ボクが選択した被災地支援。

それは河口湖の自宅から、己の足で走って神戸を目指し、そのチャリティーランを通じて支援金を募り、その支援金を神戸に暮らす片山氏に手渡し、バイクで東北まで運んで貰うというプロジェクトだ。

河口湖の自宅から神戸までは約500km。毎日、30km走れば17日間で到着できるはずだ。

普段、仕事でボクのアシスタントをしているカホがクルマで伴走する。もちろん毎晩、野宿だ。ホテルや民宿に泊まっていたらかなり経費が掛かる。支援のために走ることが、余計な経費を使って支援金を募るようでは本末転倒だ。

そんな計画を立てていたら、友人のケイが「私も一緒に走って神戸まで付いて行きます!」と手を挙げた。

こうして我々3人は2012年の10月30日、「OneWorld」のステッカーを伴走車に大きく貼り付け、元気よく河口湖を出発した。

日頃から15km前後を走ることを日常としているので、毎日30kmを走ることはあまり苦ではなかった。しかしコース上にその日の宿泊場所(主に「道の駅」のお世話になった)を探すのに苦労したし、走り終わった後に、食事の準備や洗濯、お風呂といった日常生活に必要な雑用に追われることが大変だった。

特に走っている途中のランチは悩んだ。河口湖を出発してしばらくはカップ麺などで済ませたが、30kmの距離を走るのには、あまりにも栄養不足である。

そこで役立ったのがシャトルシェフだ。

出発前、その日の朝食を作る時に、ついでになんらかのシチューを作る。シチューの時もあれば、前日の夕食の残り物の鍋の時もある。なんでもいいから、ランチタイムに温かい食事にありつけることは有難かった。もちろん調理用にアウトドアで使用するツーバーナーやワンバーナーも持参した。だがガスを燃料とする調理器具を、どこでも使えるワケではない。

結局、予定より1日多く、18日間で我々は神戸の地を踏んだ。18日間、毎日のように友人、知人が応援ランに駆けつけてくれ、一緒に走ってくれ、励ましてくれ、なかには食事を作って待ってくれる友人も居た。

ゴールの神戸では、片山氏が地元の役場の方たちと共に待機してくれ、完走した表彰式まで開催してくれた。

被災地を元気づけるために思いついたプロジェクトだったが、逆に多くの人に励まされた。

ひとつのプロジェクトは終えたが、被災地への支援はまだまだ続く。

食事をきちんと摂り、元気に走り続けて、少しでも多くの人に元気を与え続けることも、どこかで支援に繋がっていくと思うのである。

プロフィール
木村東吉(きむら・とうきち)
1958年大阪生まれ。1979年よりモデル活動開始。『ポパイ』『メンズクラブ』等の表紙を飾り活躍。30代より、趣味からアウトドア活動を始め、世界各地のアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、日本でも様々なアドベンチャーレースを主催して、おしゃれで洗練されたオートキャンピングブームの火付け役となる。現在は河口湖に拠点を置き、アウトドア関連のイベントプロデュースのほか、キャンプ教室の指導・講演、執筆など幅広く活動している。

編集:オフィス福永

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