はちみつ色にとろりと輝く独特のコップ。
全国に多くのファンを持つそのコップをどこかで目にしたことがあるかもしれない。
存在感はあるのにどんな食卓にも馴染んでいく力を持ってる。

我が家でも日々、欠かせない存在。
息子のコーラ、わたしの炭酸水、夫のビール。どれもおおらかに受け止めてくれる。
だからなくなると、とてもこまる。
あれが、いい。 ほかじゃ、ちがう。 そんなコップ。

岡山県で石川昌浩さんが主宰する石川硝子工藝舎のもの。
昨年吹業20周年を迎えた彼の、工房にお邪魔しました。
はちみつ色にとろりと輝く独特のコップ。
全国に多くのファンを持つそのコップをどこかで目にしたことがあるかもしれない。
存在感はあるのにどんな食卓にも馴染んでいく力を持ってる。

我が家でも日々、欠かせない存在。
息子のコーラ、わたしの炭酸水、夫のビール。どれもおおらかに受け止めてくれる。
だからなくなると、とてもこまる。
あれが、いい。 ほかじゃ、ちがう。 そんなコップ。

岡山県で石川昌浩さんが主宰する石川硝子工藝舎のもの。
昨年吹業20周年を迎えた彼の、工房にお邪魔しました。
はちみつ色にとろりと輝く独特のコップ。
全国に多くのファンを持つそのコップをどこかで目にしたことがあるかもしれない。
存在感はあるのにどんな食卓にも馴染んでいく力を持ってる。

我が家でも日々、欠かせない存在。
息子のコーラ、わたしの炭酸水、夫のビール。どれもおおらかに受け止めてくれる。
だからなくなると、とてもこまる。
あれが、いい。 ほかじゃ、ちがう。 そんなコップ。

岡山県で石川昌浩さんが主宰する石川硝子工藝舎のもの。
昨年吹業20周年を迎えた彼の、工房にお邪魔しました。
はちみつ色にとろりと輝く独特のコップ。
全国に多くのファンを持つそのコップをどこかで目にしたことがあるかもしれない。
存在感はあるのにどんな食卓にも馴染んでいく力を持ってる。

我が家でも日々、欠かせない存在。
息子のコーラ、わたしの炭酸水、夫のビール。どれもおおらかに受け止めてくれる。
だからなくなると、とてもこまる。
あれが、いい。 ほかじゃ、ちがう。 そんなコップ。

岡山県で石川昌浩さんが主宰する石川硝子工藝舎のもの。
昨年吹業20周年を迎えた彼の、工房にお邪魔しました。
はちみつ色にとろりと輝く独特のコップ。
全国に多くのファンを持つそのコップをどこかで目にしたことがあるかもしれない。
存在感はあるのにどんな食卓にも馴染んでいく力を持ってる。

我が家でも日々、欠かせない存在。
息子のコーラ、わたしの炭酸水、夫のビール。どれもおおらかに受け止めてくれる。
だからなくなると、とてもこまる。
あれが、いい。 ほかじゃ、ちがう。 そんなコップ。

岡山県で石川昌浩さんが主宰する石川硝子工藝舎のもの。
昨年吹業20周年を迎えた彼の、工房にお邪魔しました。
はちみつ色にとろりと輝く独特のコップ。
全国に多くのファンを持つそのコップをどこかで目にしたことがあるかもしれない。
存在感はあるのにどんな食卓にも馴染んでいく力を持ってる。

我が家でも日々、欠かせない存在。
息子のコーラ、わたしの炭酸水、夫のビール。どれもおおらかに受け止めてくれる。
だからなくなると、とてもこまる。
あれが、いい。 ほかじゃ、ちがう。 そんなコップ。

岡山県で石川昌浩さんが主宰する石川硝子工藝舎のもの。
昨年吹業20周年を迎えた彼の、工房にお邪魔しました。
はちみつ色にとろりと輝く独特のコップ。
全国に多くのファンを持つそのコップをどこかで目にしたことがあるかもしれない。
存在感はあるのにどんな食卓にも馴染んでいく力を持ってる。

我が家でも日々、欠かせない存在。
息子のコーラ、わたしの炭酸水、夫のビール。どれもおおらかに受け止めてくれる。
だからなくなると、とてもこまる。
あれが、いい。 ほかじゃ、ちがう。 そんなコップ。

岡山県で石川昌浩さんが主宰する石川硝子工藝舎のもの。
昨年吹業20周年を迎えた彼の、工房にお邪魔しました。
石川さんは大きい。
いきなり体のサイズの話をするのもおかしいけれど、何十回会っても
毎回ついそう言ってしまうほどに大きく華がある。
身長193cm。どこにいっても目立つ人生だっただろうと思う。
それは彼の人格形成に少なくない影響があっただろうとも。

東京生まれ千葉育ち。倉敷の大学でガラスに出会い卒業と同時に窯を立ち上げた彼。
恩師から教わったことは多いけれど、そのひとつが

「まずは10年コップだけを作れ」との言葉だったそう。

毎朝3時に起きて、ひたすら。 ずっと。
年に一度の窯のメンテナンス以外は毎日。
その教えの意味が年を重ねるごとに腑に落ちてきたそう。
石川さんは大きい。
いきなり体のサイズの話をするのもおかしいけれど、何十回会っても
毎回ついそう言ってしまうほどに大きく華がある。
身長193cm。どこにいっても目立つ人生だっただろうと思う。
それは彼の人格形成に少なくない影響があっただろうとも。

東京生まれ千葉育ち。倉敷の大学でガラスに出会い卒業と同時に窯を立ち上げた彼。
恩師から教わったことは多いけれど、そのひとつが

「まずは10年コップだけを作れ」との言葉だったそう。

毎朝3時に起きて、ひたすら。 ずっと。
年に一度の窯のメンテナンス以外は毎日。
その教えの意味が年を重ねるごとに腑に落ちてきたそう。
石川さんは大きい。
いきなり体のサイズの話をするのもおかしいけれど、何十回会っても
毎回ついそう言ってしまうほどに大きく華がある。
身長193cm。どこにいっても目立つ人生だっただろうと思う。
それは彼の人格形成に少なくない影響があっただろうとも。

東京生まれ千葉育ち。倉敷の大学でガラスに出会い卒業と同時に窯を立ち上げた彼。
恩師から教わったことは多いけれど、そのひとつが

「まずは10年コップだけを作れ」との言葉だったそう。

毎朝3時に起きて、ひたすら。 ずっと。
年に一度の窯のメンテナンス以外は毎日。
その教えの意味が年を重ねるごとに腑に落ちてきたそう。
石川さんは大きい。
いきなり体のサイズの話をするのもおかしいけれど、何十回会っても
毎回ついそう言ってしまうほどに大きく華がある。
身長193cm。どこにいっても目立つ人生だっただろうと思う。
それは彼の人格形成に少なくない影響があっただろうとも。

東京生まれ千葉育ち。倉敷の大学でガラスに出会い卒業と同時に窯を立ち上げた彼。
恩師から教わったことは多いけれど、そのひとつが

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毎朝3時に起きて、ひたすら。 ずっと。
年に一度の窯のメンテナンス以外は毎日。
その教えの意味が年を重ねるごとに腑に落ちてきたそう。
石川さんは大きい。
いきなり体のサイズの話をするのもおかしいけれど、何十回会っても
毎回ついそう言ってしまうほどに大きく華がある。
身長193cm。どこにいっても目立つ人生だっただろうと思う。
それは彼の人格形成に少なくない影響があっただろうとも。

東京生まれ千葉育ち。倉敷の大学でガラスに出会い卒業と同時に窯を立ち上げた彼。
恩師から教わったことは多いけれど、そのひとつが

「まずは10年コップだけを作れ」との言葉だったそう。

毎朝3時に起きて、ひたすら。 ずっと。
年に一度の窯のメンテナンス以外は毎日。
その教えの意味が年を重ねるごとに腑に落ちてきたそう。
石川さんは大きい。
いきなり体のサイズの話をするのもおかしいけれど、何十回会っても
毎回ついそう言ってしまうほどに大きく華がある。
身長193cm。どこにいっても目立つ人生だっただろうと思う。
それは彼の人格形成に少なくない影響があっただろうとも。

東京生まれ千葉育ち。倉敷の大学でガラスに出会い卒業と同時に窯を立ち上げた彼。
恩師から教わったことは多いけれど、そのひとつが

「まずは10年コップだけを作れ」との言葉だったそう。

毎朝3時に起きて、ひたすら。 ずっと。
年に一度の窯のメンテナンス以外は毎日。
その教えの意味が年を重ねるごとに腑に落ちてきたそう。
手仕事ゆえ、「民藝」のラベルでくくられることも多い。
石川さんにとっての民藝とは
「自分がわくわくするかどうか」というシンプルな1点。

外見、才能ともに目立つ彼は
伝統的なシーンとの距離感に苦心した時期もあったと想像する。

趣味のボクシングを始めたのもその一環。
精神を肉体で支える行為。
今、視界がよりクリアになっている彼の姿勢は
とても清々しく軽やかに見える。
手仕事ゆえ、「民藝」のラベルでくくられることも多い。
石川さんにとっての民藝とは
「自分がわくわくするかどうか」というシンプルな1点。

外見、才能ともに目立つ彼は
伝統的なシーンとの距離感に苦心した時期もあったと想像する。

趣味のボクシングを始めたのもその一環。
精神を肉体で支える行為。
今、視界がよりクリアになっている彼の姿勢は
とても清々しく軽やかに見える。
手仕事ゆえ、「民藝」のラベルでくくられることも多い。
石川さんにとっての民藝とは
「自分がわくわくするかどうか」というシンプルな1点。

外見、才能ともに目立つ彼は
伝統的なシーンとの距離感に苦心した時期もあったと想像する。

趣味のボクシングを始めたのもその一環。
精神を肉体で支える行為。
今、視界がよりクリアになっている彼の姿勢は
とても清々しく軽やかに見える。
手仕事ゆえ、「民藝」のラベルでくくられることも多い。
石川さんにとっての民藝とは
「自分がわくわくするかどうか」というシンプルな1点。

外見、才能ともに目立つ彼は
伝統的なシーンとの距離感に苦心した時期もあったと想像する。

趣味のボクシングを始めたのもその一環。
精神を肉体で支える行為。
今、視界がよりクリアになっている彼の姿勢は
とても清々しく軽やかに見える。
手仕事ゆえ、「民藝」のラベルでくくられることも多い。
石川さんにとっての民藝とは
「自分がわくわくするかどうか」というシンプルな1点。

外見、才能ともに目立つ彼は
伝統的なシーンとの距離感に苦心した時期もあったと想像する。

趣味のボクシングを始めたのもその一環。
精神を肉体で支える行為。
今、視界がよりクリアになっている彼の姿勢は
とても清々しく軽やかに見える。
毎日、オリジナルのプレイリストを作る。
音に合わせ同じ手順を繰り返し、吹く。

その作業は無限に続く単純な反復に見える。
でもそこには常に、あたらしい微細な発見があると彼は言う。
すべてのリズムがぴたっと決まる瞬間には喜びが溢れる。
わくわくする、と。

実際に吹いている石川さんの無駄の一切ない動きは、
熟練の舞踏家のそれに似ていて見惚れた。
毎日、オリジナルのプレイリストを作る。
音に合わせ同じ手順を繰り返し、吹く。

その作業は無限に続く単純な反復に見える。
でもそこには常に、あたらしい微細な発見があると彼は言う。
すべてのリズムがぴたっと決まる瞬間には喜びが溢れる。
わくわくする、と。

実際に吹いている石川さんの無駄の一切ない動きは、
熟練の舞踏家のそれに似ていて見惚れた。
毎日、オリジナルのプレイリストを作る。
音に合わせ同じ手順を繰り返し、吹く。

その作業は無限に続く単純な反復に見える。
でもそこには常に、あたらしい微細な発見があると彼は言う。
すべてのリズムがぴたっと決まる瞬間には喜びが溢れる。
わくわくする、と。

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熟練の舞踏家のそれに似ていて見惚れた。
毎日、オリジナルのプレイリストを作る。
音に合わせ同じ手順を繰り返し、吹く。

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でもそこには常に、あたらしい微細な発見があると彼は言う。
すべてのリズムがぴたっと決まる瞬間には喜びが溢れる。
わくわくする、と。

実際に吹いている石川さんの無駄の一切ない動きは、
熟練の舞踏家のそれに似ていて見惚れた。
毎日、オリジナルのプレイリストを作る。
音に合わせ同じ手順を繰り返し、吹く。

その作業は無限に続く単純な反復に見える。
でもそこには常に、あたらしい微細な発見があると彼は言う。
すべてのリズムがぴたっと決まる瞬間には喜びが溢れる。
わくわくする、と。

実際に吹いている石川さんの無駄の一切ない動きは、
熟練の舞踏家のそれに似ていて見惚れた。
作り手、配り手、そして使い手。
石川さんはひとを大切にする。ひとへの信頼が、ある。
自分は作ることに専念し、配り手と呼ばれるギャラリーなどの仲間とは
対等な関係でともに進む。
使い手と呼ぶお客さんにはどうぞ自由に使ってほしい、と委ねる。

彼は異ジャンルの仲間をゆるやかに巻き込み、
コップでひととひととをつなぐ新しいアイディアに満ちている。
彼のまわりにはいつも、よい渦が見える。

その中心にあるコップは、個人の「作品」ではなく「道具」であってほ
しいと石川さんは話す。サーモスの水筒のように。

その想いは彼の作り上げる形に宿っているように思う。
意志は強い、でも、すんなりと誰の手にも暮らしにも馴染む。
作り手、配り手、そして使い手。
石川さんはひとを大切にする。ひとへの信頼が、ある。
自分は作ることに専念し、配り手と呼ばれるギャラリーなどの仲間とは
対等な関係でともに進む。
使い手と呼ぶお客さんにはどうぞ自由に使ってほしい、と委ねる。

彼は異ジャンルの仲間をゆるやかに巻き込み、
コップでひととひととをつなぐ新しいアイディアに満ちている。
彼のまわりにはいつも、よい渦が見える。

その中心にあるコップは、個人の「作品」ではなく「道具」であってほ
しいと石川さんは話す。サーモスの水筒のように。

その想いは彼の作り上げる形に宿っているように思う。
意志は強い、でも、すんなりと誰の手にも暮らしにも馴染む。
作り手、配り手、そして使い手。
石川さんはひとを大切にする。ひとへの信頼が、ある。
自分は作ることに専念し、配り手と呼ばれるギャラリーなどの仲間とは
対等な関係でともに進む。
使い手と呼ぶお客さんにはどうぞ自由に使ってほしい、と委ねる。

彼は異ジャンルの仲間をゆるやかに巻き込み、
コップでひととひととをつなぐ新しいアイディアに満ちている。
彼のまわりにはいつも、よい渦が見える。

その中心にあるコップは、個人の「作品」ではなく「道具」であってほ
しいと石川さんは話す。サーモスの水筒のように。

その想いは彼の作り上げる形に宿っているように思う。
意志は強い、でも、すんなりと誰の手にも暮らしにも馴染む。
作り手、配り手、そして使い手。
石川さんはひとを大切にする。ひとへの信頼が、ある。
自分は作ることに専念し、配り手と呼ばれるギャラリーなどの仲間とは
対等な関係でともに進む。
使い手と呼ぶお客さんにはどうぞ自由に使ってほしい、と委ねる。

彼は異ジャンルの仲間をゆるやかに巻き込み、
コップでひととひととをつなぐ新しいアイディアに満ちている。
彼のまわりにはいつも、よい渦が見える。

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その想いは彼の作り上げる形に宿っているように思う。
意志は強い、でも、すんなりと誰の手にも暮らしにも馴染む。
作り手、配り手、そして使い手。
石川さんはひとを大切にする。ひとへの信頼が、ある。
自分は作ることに専念し、配り手と呼ばれるギャラリーなどの仲間とは
対等な関係でともに進む。
使い手と呼ぶお客さんにはどうぞ自由に使ってほしい、と委ねる。

彼は異ジャンルの仲間をゆるやかに巻き込み、
コップでひととひととをつなぐ新しいアイディアに満ちている。
彼のまわりにはいつも、よい渦が見える。

その中心にあるコップは、個人の「作品」ではなく「道具」であってほ
しいと石川さんは話す。サーモスの水筒のように。

その想いは彼の作り上げる形に宿っているように思う。
意志は強い、でも、すんなりと誰の手にも暮らしにも馴染む。
ガラスはまだ、固体か液体かという議論が終わっていない分野だと
聞いた。そんな根源的な問いが解かれていないなんておもしろい。

「60歳で引退しようと思ってる」
なんてさらりと言うのでとても驚く。
そこでも彼は軽やかだった。やれるひとが継げばいいと思うと。
今いる場にまるで執着していない。
次に何をやるかのプレゼンのほうが、よっぽどわくわくする、と。

ガラスが固体か液体かまだわからないくらいだし
その時にはまた、彼はあたらしく柔軟な解を
手にするのだろうと思う。
仲間たちと一緒に。
ガラスはまだ、固体か液体かという議論が終わっていない分野だと
聞いた。そんな根源的な問いが解かれていないなんておもしろい。

「60歳で引退しようと思ってる」
なんてさらりと言うのでとても驚く。
そこでも彼は軽やかだった。やれるひとが継げばいいと思うと。
今いる場にまるで執着していない。
次に何をやるかのプレゼンのほうが、よっぽどわくわくする、と。

ガラスが固体か液体かまだわからないくらいだし
その時にはまた、彼はあたらしく柔軟な解を
手にするのだろうと思う。
仲間たちと一緒に。
ガラスはまだ、固体か液体かという議論が終わっていない分野だと
聞いた。そんな根源的な問いが解かれていないなんておもしろい。

「60歳で引退しようと思ってる」
なんてさらりと言うのでとても驚く。
そこでも彼は軽やかだった。やれるひとが継げばいいと思うと。
今いる場にまるで執着していない。
次に何をやるかのプレゼンのほうが、よっぽどわくわくする、と。

ガラスが固体か液体かまだわからないくらいだし
その時にはまた、彼はあたらしく柔軟な解を
手にするのだろうと思う。
仲間たちと一緒に。
石川昌浩さんプロフィール

1975年、東京生まれ。
1999年、倉敷芸術科学大学ガラス工芸コース卒業。旧清音村に共同制作窯を築炉し、制作を始める。2002年日本民藝館展初出品初入選*以後、毎年入選。2003年、共同制作窯を解散し、石川硝子工藝舎と改名。2008年、早島町に工房兼自宅を移す。 2021年日本民藝館賞受賞。

石川硝子工藝舎
https://www.facebook.com/ishikawagarasukougeisya/
中川正子さんプロフィール

写真家。
津田塾大学在学中、カリフォルニアに留学し写真を始める。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々 のスライス、美しいランドスケープを得意とする。写真展を定期的に行い、雑誌、広告 、書籍など多ジャンルで活動中。2011年3月より岡山に拠点に、国 内外を旅する日々。最新作は「Rippling」ほかに写真集に「新世界」「IMMIGRANTS」「ダレオド」などがある。文章執筆の仕事も多数。fua accessoryとのコラボレーションで短編「モキク」を発表。作品を販売するオンラインストアも好評。

instagram @masakonakagawa