「〇〇せねば」から自由に。fuzkue店主・阿久津隆さんに聞く「日記」の楽しみ方

日記にその日にあった出来事や思いを綴ることで、感情を整理できたり、ストレス発散になったりすることがあります。とはいえ、三日坊主で続けることができなかった、なにを書いていいかわからないなど、日記が生活にうまく馴染まなくてモヤモヤしている人もいるのではないでしょうか。fuzkue店主で「読書の日記」の著者である阿久津隆さんに日記や読書の楽しみ方を伺いました。

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阿久津隆(あくつ・たかし)

阿久津隆

あくつ・たかし

1985年、栃木県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2011年に岡山県でカフェを立ち上げる。2014年、読書して過ごすことに特化した「本の読める店 fuzkue」を東京都初台にオープン。現在、都内で3店舗を運営する。2016年から同店HPで「読書の日記」を公開し、現在はメールマガジンで配信する。著作に『読書の日記』(NUMABOOKS)、『本の読める場所を求めて』(朝日出版社)など。

あなたは「日記」を書いたことはありますか?

「書いたことはあるけれど、三日坊主で終わってしまった」「何を書けばいいのかわからずに、段々と書くのが億劫になってしまった」「日記を始めたいけれど、なんだかずっと先延ばしにしている」といった人も少なくないのでは。

今回、日記について話してくれるのは、本の読める店「fuzkue」の店主・阿久津隆さん。阿久津さんは2016年から約7年以上、日々の生活と読んだ本について自由気ままに綴る読書日記を書き続けています。

なぜ読書日記を始めたのか、どのような気持ちで書いているのか。日記を楽しむためのヒントを教えてもらうため、阿久津さんに話を伺いました。

――阿久津さんが読書日記を書き始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

阿久津さん
「もともと文章を書くのは好きでした。でも、fuzkueのホームページに載せるブログを書き続けているときに、話のネタを考える難しさを実感して。自分が無理なく書き続けられるスタイルはなんだろうと模索した結果、日記にたどり着きました。

きっかけは、映画監督の三宅唱さんがスマートフォンで撮影している『無言日記』。映像日記という形式のものですが、この作品を通して『日記』という様式でアウトプットを続けることに魅力を感じました。

日記って、日付が書いてあれば、そのなかに書かれたものは全て日記になっちゃうんです。例えばエッセイを書くとなると、テーマやタイトルを決める作業が出てきます。でも、日記にはそのプロセスが必要ありません。

朝8時に起床したら、もうそれだけで「朝8時に起きた」と書き出すことができます。どれだけ長くても、逆に短くてもいい。止まったところで終わりにすればいいんです。日記はとても包容力のあるスタイルだと思っています」

――日記を書く際、なにか心がけていることはありますか?

阿久津さん
『〇〇せねば』という考えからはできるだけ自由でいたいと思っています。『こういうことを書いたらこう思われるのではないか』という考えは、できるだけ取り払って、きれいになりすぎないように、うまく書こうとしすぎないようにしています。

書き間違いなども、あえてそのままにしていることが多いですね。むしろ、間違いの部分にこそ自分らしさや身体性が出てくるような気がしています」

――阿久津さんの書く読書日記からも、そういったお考えが伝わってきますね。阿久津さんは、当初から読書日記をインターネット上で公開していますが、それにはなにか理由があるのでしょうか?

阿久津さん
「もともと学生時代から、なにかしら外に公開する文章を書いていたので、自分にとっては自然なことでした。外に開かれる文章を長年書いてきて思うのは、人の目があることによって文章の身だしなみにも気をつけられる、ということです

自分だけのクローズドな日記にしてしまうと、どれだけネガティブなことでも際限なく書けてしまう。ストレス発散とかのよさもあると思うんですが、ブレーキがない状態は怖いし、人に見せたくないような自分の姿って、自分でも積極的に見たいと思うものではないと思うんですよね。

『外に出るから、ちょっと髪の毛をセットしようかな』というように、日記も外に向けると、身だしなみを整えようと思いやすくなる。その方が僕にとってはヘルシーだと考えています。

日記を書くということは、その文章の最初の読者に自分自身がなること。悪い言葉って、読む自分を何かしら傷つけると思うんですよね。一番の読者である自分を楽しませるためにも、人の目が外にあるのはいいことだと思いますね」

――阿久津さんは「読書日記」というテーマで日記を書かれています。シンプルな日記との違いや、読書日記の魅力を教えてください。

阿久津さん
「僕にとって読書日記は、ものを書くことと本を読むこと、どちらのハードルも下げるものとして機能しています。

読書日記では、本の感想はほとんど書かずに、心が動いた一節や好きだと感じた部分をそのまま書き記しています。ただ引用する、ということが一番自分にとって率直な感想行為になっている気がして。

本は言葉でできているので、それを読んだ自分も、感じたことを言葉に変換できるような錯覚を持ってしまうんですが、必ずしもそうではありません。むしろ言語化してしまうとその感動を痩せさせてしまうこともある。引用で記録することで、難易度を低く保ちながらアウトプット欲も満たすことができます」

――子どもの頃に書いた読書感想文の記憶が、今でも残っているのかもしれませんね。

阿久津さん
「そうですね。『なんかうまいこと書かなきゃ』と難しく考えてしまう人は結構多いのかもしれません。読み始めたら読み終えねばならないとか、読み終えたら気の利いた感想を言わなければならない、とか。

批評をすることと感想を持つことは別の行為です。例えば音楽に対して『この曲が好き』というような、率直な感想を言い合うこともあると思います。本に対しても、それでいいはず。『〇〇せねば』というような規範を外すためにも、読書日記はいいものだと思います」

――阿久津さんにとって、読書日記はどのような存在ですか?

阿久津さん
「自分の変化を肯定してくれるものでしょうか。日記というのは、自分の鈍い変化が記録され続けているものだと思っています。毎日の生活はある程度似たようなことの繰り返しですけど、そのときどきで文章の書き方って結構変化しているんですよね。

読点の打ち方が全然違ったりとか、その時読んでいた本の文体に思いっきり影響されていたりとか。そういった自分の些細な変化を『面白いな』って受け入れさせてくれる存在だと思います」

――最後に、これから日記を書き始める人に向けてアドバイスをお願いします。

阿久津さん
「毎日続けなきゃとか、面白いことを書かなきゃとは思わなくて大丈夫です。無理なことはせず、とにかく自由に書いてみてください」

外の寒さも強まり、屋内の暖かさをしみじみとうれしく感じる季節となりました。「ものを書く」ことを始めるには絶好の機会かもしれません。あなたもこのヒントをもとに、日記を始めてみませんか?

ライター:中込有紀
撮影:小野奈那子
編集:ノオト

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