

1960年代後半にアメリカで誕生したと言われているBMX。オートバイのモトクロスレースに憧れた子どもたちが、自転車で真似をして遊んだことから生まれた、ストリート発の新しいスポーツです。トリックを競い合う「BMXフリースタイル」もありますが、今回のアスリートは、起伏に富んだ400mのコースを走り順位を競い合う「BMXレーシング」の高崎成琉(なる)さん。世界選手権での優勝経験もある若きカリスマがいかにして誕生したか、母葵妃(きさき)さんにお話を伺いました。


4歳の成琉さん。自転車競技経験のない父、祐樹(ゆうき)さんは成琉さんと共にゼロから学び、二人三脚でトレーニングしてきた。今では自転車の基本的なメンテナンスも担当している。
BMXを始めたきっかけは1歳の誕生日にランニングバイクをプレゼントされたことからです。成琉は夢中になってあっという間に乗りこなし、3歳になる前には12インチのBMXにまたがっていました。
ある時、サイクルスポーツセンターでBMXのレースを見かけたんです。成琉はちょっと上のお兄さんたちが大好きな自転車で宙を舞う姿にもう釘付け。すぐにレース用のBMXを購入し、三重県にある「GONZO PARK」に通って基本を学び、5歳からシリーズ戦に出場し始めました。
それからは怒涛! BMXのレーシングコースは筑波や岸和田、秩父や山梨など日本各地に点在しているのですが、練習のために家族みんなで毎週末遠征する日々が始まりました。成琉も大変だったけれど、パパの苦労は成琉以上です。夜通し運転して明け方に到着するような日も、朝イチから成琉をサポート。睡眠不足のまま月曜日に出勤するのが日常茶飯事でした。
2025年に地元近くに「NAGOYA KEIRIN BMX」ができてからは練習のための遠征はなくなったんですけど、ハイエースで雑魚寝して仮眠をとり、陽が登れば練習に明け暮れた熱狂的な日々は、家族みんなにとって忘れられない思い出です。ハードだったけれど、どんどん成長していく成琉を見るのが楽しくて仕方ありませんでした。


アスリートに必要な栄養を理解しつつ、続けていくために100点を目指さないのが葵妃さん流。その分、朝と晩は必ず主食は白米にして、おかずを数種類並べて栄養バランスを整える。パスタなどで済ませることはないという。
レースで勝てるようになってからはとんとん拍子で、8歳の時に全日本選手権で優勝を果たすと、11歳の時にナント(フランス)で行われた世界選手権で準優勝、13歳の時にロックヒル(アメリカ)で行われた自身4度目の世界選手権で念願の頂点に立つことができました。しかも予選から決勝までトップを譲らない素晴らしい走りで完全優勝だったんです。
しかし、その翌年の2025シーズンは体調不良やケガに苦しめられました。2月に胃腸炎になってしまい体重が5キロも激減。なんとか体調を戻し、4月からヨーロッパツアー参戦も兼ねて約2カ月間イタリアのコーチの家にホームステイをしたんですけど、とにかく食事が合わなかったようでまたまた体重が激減。さらには肩を負傷してしまい満身創痍で帰国しました。世界選手権への出場も断念して回復に務めるも、冬には転倒で帽状腱膜下血腫を起こしてしまい、練習ができない日々が続きました。
もともと食への意識は高い方なんですが、そんなシーズンだったからこそ、改めて食事や栄養の大切さを思い知ったようです。普段いかに恵まれていたかを痛感したみたいで、日々のご飯に感謝してくれるようになりました。感謝してもらえると嬉しいけれど、見守る側も辛いシーズンでした。


成琉さんが決めた「世界選手権で優勝する」という目標を達成するためにはどうすればいいか共に考え、毎日の小さな目標まで落とし込んで並走してきた父、祐樹さん。東邦高校野球部の三塁手として春の選抜大会に出場した経歴を持つ。
一人で海外へ行くのも慣れっ子だし、世界中に友達がいるし、BMXのおかげで普通の子ができない経験をたくさんさせてもらっています。そのせいか、成琉は年の割に堂々としていてちっとも物怖じしないんです。社長さんや県知事さんなど偉い方とお会いすることもあるんですが、びっくりするほど落ち着いてしっかり会話しています。
BMXのことをもっと多くの人に知ってもらいたいという意識も高くて、「NAGOYA KEIRIN BMX」を見学する子どもたちに、自分の走りで興味を持ってもらえるようにいろいろと工夫しているそう。
もちろん家では普通の15歳の男の子。部屋も汚いしマイペースで、朝ごはんなんていつまで食べてるの!? って感じです(笑)。練習に身が入らなくてパパから注意されることもしょっ中。それでも、わたしよりずっとしっかりしてるなぁってよく感心してしまいます。
満を持して臨んだ2年ぶりの世界選手権。表彰台には上がれなかったけれど、きっとこれからの成琉を導く、いい学びになったと思います。あと2年でアマチュア卒業! プロとして世界で通用する選手になって欲しいなというのはもちろん、「ナルくんガンバレー!!」って、子どもたちにたくさん応援してもらえる選手になって欲しいな。

インタビュー中の成琉さんは、媚びず、怯まず、自然体で、なんだか大人と話しているよう。トリックの写真を撮らせて欲しいとお願いしたスタッフに、「(レーサーである)僕のジャンルじゃないから」とキッパリ断ったところもカッコよかった! 若干15歳にして世界チャンピオンの看板をしっかり背負っていると感じさせられます。お母さんは「負けず嫌いでマイペース」、お父さんは「良くも悪くも頑固で不器用」と評する無骨なレーサーはいま孤独に戦っています。


時々熱くなる父祐樹さんと成琉さんの間で緩衝材のような役割をすることもあるという葵妃さん。おっとりとしているけれど料理は完璧!お互いを思いやりながら、当たり前のようにそれぞれが努力するのが高崎家のスタイル。
今は、週4日「NAGOYA KEIRIN BMX」で9時から15時くらいまで練習をして、週2日ジムでフィジカルトレーニングをしています。通信制の高校に通っているので、単位を取り逃さないよう、残りの1日は一日中勉強しています。
練習内容は日本代表チームのヘッドコーチに組んでもらうんですけど、海外にいて、練習に付き合ってくれるわけじゃないので、どれくらいやり込むかは自分次第。1本1本細かい部分を意識しながら走ってみたり、他の選手にコツを聞いてみたりしながら、自分に合う方法を探っています。
例えば、僕はスタートがあまり得意ではないんですよ。なので、最近はスタート時のフォームや意識の持ち方について取り組んでいました。普段からいろんな人に話を聞いて得た情報を頭の中に入れておいて、練習しながら試している感じです。
「どうしてここまで勝てるようになったんですか」って時々聞かれるんですけど、小さい頃のことはあまり覚えてないんですよ。ただ、負けたくないっていう気持ちが強かったので、尋常じゃないくらい練習したと思います。お父さんとマンツーマンで練習しながら、トップ選手から直接教えてもらえるイベントがあれば必ず参加して、たくさん学びました。友達と遊ぶ時間をBMXに全振りして練習していたし、ラクな道ではありませんでした。
2025 BMXレーシング アジア選手権
©JAPAN CYCLING FEDERATION

BMXのことなら澱みなく語ってくれるけれど、家族への想いやプライベートなことを掘り下げられるのはイヤみたい。時々見える15歳らしさにハッとさせられる。
僕は負けず嫌いで、勝負して勝つことがとにかく好きなんです。スポーツでも遊びでも何やるにしても勝ちたいんですけど、BMXレースは勝敗が明確になるのでそこが好き。大事な試合で勝った時や、ずっと勝てなかった子に勝てた時はすごく嬉しいです。あと、自分が努力した分、結果につながるから個人競技なのもよかった。
レースは大きく前(先頭)にいる時と後ろにいる時で違います。前にいる時は後続車の気配を察して、相手のラインを封じつつ逃げ切る戦い。タイヤの音で誰がどこにいるか大体分かるんですよ。ただ僕はケガさせるのはちょっと違うかなと思うタイプなんで、寄せはするけど転ばせるほど詰めたりはしないです。
後ろにいる時は、前の選手の動きを読みながら「ここで抜こう」と決めた場所で勝負します。僕はあまり後ろを走った経験がないこともあり、恐怖心に打ち勝って厳しいところを突っ込めるかどうかが今の課題です。
コースによってコブの形も土質もコース幅も異なるのでラインは全然変わりますし、風の強さや向きも大事なポイント。メンタルの重要性ですか? 僕はあまり緊張しないタイプですが、ほどよい緊張感は筋肉にいい影響を与えるので、気持ちを高めるようにしています。


大きな夢に向かって、長い時間を一緒に過ごし、たくさんぶつかり、たくさん話してきた高崎家。家族の想いは痛いほど分かってる。強い絆で試練を乗り越え、大輪を咲かせてくれるはず。
10歳でひじをケガした時に普段のケアが足りていなかったことを知り、体幹トレーニングを取り入れて、ウォーミングアップやストレッチを念入りにやるようになりました。スプリント力がありながらジャンプにも適したシャープな肉体を維持するために食事も大切にしていて、揚げ物やカレーなどの脂質が高いメニューはできるだけ避け、ファストフード、お菓子やジュースも控えています。
ライバルはチェコ共和国のドミニク・ラリース。2023、2025、2026と世界選手権で3度優勝しているトップランカーです。同い年で友達でもあり、2024年は僕が勝ったんですが、ブランクがあった今年はすっかり負けてしまいました。でも一緒に走ったことで足りていない部分が明確になったので、ここからしっかり練習して、来年の世界選手権ではもっといい成績を残せるように頑張ります。
17歳になったらアマチュアを卒業してチャンピオンシップクラスに挑戦できるので、ジュニアカテゴリの1年目から勝ちたい。そしてU23やエリートなど各カテゴリで順当に活躍して、一番の目標は2032年に開催されるブリスベンオリンピックに日本代表として出場し、優勝することです。それまで努力し続けていきます。
※2026年8月 公開

成琉さんが使用していた製品フレッシュランチボックス
DSD-1105W
成琉さんが使用していた製品ハイドレーションボトル
ASHA-945
成琉さんが使用していた製品真空断熱スポーツボトル
FJP-601
葵妃さんが使用していた製品セラプロテクトシリーズ
⽟⼦焼きフライパンKFO
KFO-013E
葵妃さんが使用していた製品デュラブルシリーズ
炒め鍋KFI
葵妃さんが使用していた製品グランエッジ 牛刀180mm
KKB-G180
ライター:高橋美由紀
写真:小沢朋範、本永創太














