

四方を壁に囲まれたコートでボールを打ち合うスカッシュは、1時間のプレーで700kcal、プロ選手になると1500kcalも消費すると言われる過酷なスポーツ。2028年に開催されるロサンゼルスオリンピックで正式種目に採用され、にわかに注目を集めています。今回の主人公、シニア英美里さんは日本スカッシュ界の次世代を担う若手のホープ。イギリス人のお父さん譲りの高身長と長い手足を武器に世界中で戦うシニア親子に話を伺いました。


まだ幼さが残る、スカッシュを始めたばかりの9歳の英美里さん。テニス時代に培ったラケットさばきの経験がスカッシュで花開いた。
私自身が子どもの頃テニスの選手だったので、英美里も小学校に入る前からテニスを始めました。でも、長く続けている割に伸び悩んでいて、このまま続けていくか迷っていました。そこで、他のスポーツにも目を向けてみようと、バトミントンや卓球などいろんなラケットスポーツをやってみたんです。そしたら「スカッシュが一番楽しい」と。それで、小学校3年生の時にスカッシュに転向しました。
スカッシュって日本では競技人口が少ないんですけど、女の子は輪をかけて少ない。最初に出た全日本ジュニアではU11女子の参加者が3人しかいなくて、テニス経験のある英美里はそこでいきなり優勝しちゃったんです。これが本人のやる気に火をつけました。10歳になると夫の母国であるイギリスの大会に出場。スカッシュはイギリス発祥のスポーツなのでそれなりに参加者もいたんですけど、ここでもなぜか優勝することができ、お年玉くらいの初賞金までゲット。英美里のスカッシュ人生、滑り出しはびっくりするほど順調でした。


父ジョンさんが作る「フラップジャック」はイギリスの伝統菓子。ややしっとりとしたオートミールバーのようなお菓子で、英美里さんの大好きな補食でもある。
好調だった英美里が初めて厳しい現実に直面したのは、12歳で初参加したブリティッシュジュニアオープン。事実上の世界選手権とも言われる権威ある大会でエジプトの強豪選手に完敗したのです。帰国後は通常の練習に加え、プライベートレッスンや低酸素トレーニングも取り入れました。
同時に、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アメリカと世界中を転戦する日々もスタート。スカッシュってエジプトが圧倒的に強いんですけど、彼らと戦って経験を積むためには、日本から出るしかなくって。2024年はマレーシア、ニュージーランド、ポーランドなど9カ国に遠征してきました。
海外遠征への帯同は基本的に夫の役目。リモートワークをしながら、ホテルや飛行機のブッキングにレンタカーの運転、食事や洗濯など英美里の身の回りの世話やマッサージまで一人で何役もこなしてくれます。特に、体力不足にならないよう試合前後は食事に気を使うんですけど、英美里はすごく偏食なので、海外で栄養バランスのいい食事を用意するのが大変なんですよ。その辺も夫が頑張ってくれています。


ジュニアの日本代表選手を率いて海外にも赴く横田真由美さん。相手に左右されずマイペースにプレーできるのが英美里さんの強み。課題は筋力アップと自ら仕掛けていく強気な姿勢だという。
実は、英美里にはアリスという姉がいました。アリスは先天性の難病で寝たきりの生活を送り7歳の時に亡くなったんですが、英美里はその1週間後に産まれました。二人は直接会ったことはないけれど特別な絆で結ばれていて、姉の分も頑張るという気持ちが英美里の原動力になっています。試合の前は必ず仏壇に声をかけていくんですよ。
今、ジュニア強化指定選手として世界に挑戦しているので、ダラけている時は厳しい言葉ではっぱをかけています。英美里からしてみればうるさいお母さんかもしれない。でも、アスリートの世界は必死で努力するのが当たり前ですから、やり切ったと思えるところまで私も一緒に頑張る覚悟です。
姉の病気のことがあって、英美里は将来、不治の病に効くような新薬の研究をするという夢も持っています。スカッシュと勉強を両立させるのは大変なことだけど、一生やりがいを感じられるライフワークを持ってくれたら嬉しいですね。

スカッシュを始めてまだ5年、ティーンエイジャーらしく弾けるように笑う14歳の英美里さん。数々のジュニア大会を制してきた大型新人なのに、ちょっぴり自信なさげに小首をかしげる仕草が印象的です。筋力と攻める姿勢が足りないところが課題ですが、大舞台に強く、ポーカーフェイスで相手を翻弄するところなど、底知れないポテンシャルを感じます。ただいま絶賛食トレ中。たくましく変身した英美里さんを見る日はそう遠くないかもしれません。


特技はバックハンドのキルショット(フロントウオールの低いところに強く打ち、速くバウンドさせるショット)。試合中、流れを自分に引き戻すのに効果を発揮する。
スカッシュの魅力は、テニスと違って思いっ切りボールを打てるところ。言い方がよくないけど、ストレス発散!みたいな感じでスッキリできるんです(笑)。
体力やパワーがとりわけ強いということもないですし、私のスカッシュ選手としての強みは、ひょうひょうとしているところかも。昔は試合中、上手くいかないことがあるとしょんぼりしてしまい、その隙をつかれて負けることが多くあったので、感情はなるべく顔に出さずポーカーフェイスを意識しています。
点を取られても顔色を変えないから、相手からしたら不気味に感じるんだと思います。このあいだも対戦相手から「英美里はリードされても表情が変わらないから逆にこっちが焦ったよ」と言われました。そんな風に相手が焦ったりイライラしてきたりしたらこっちに追い風が吹いてきます。実際、序盤はリードされていても徐々にまくっていく試合展開が多くて、最近は点差が開くほどアドレナリンが出てくる自分がいます(笑)。


ジュニアの日本代表選手に選ばれた時「本当に自分でいいのだろうか」と悩むこともあったという英美里さん。母純枝さんは、そのたびに英美里さんと真剣に話し合ってきた。
最大のライバルはパキスタンのアリ姉妹。姉のセリッシュ選手とは同級生で友達でもあるんですが、本当に実力が拮抗していてこれまでの対戦成績は2勝2敗。特に、今年の4月に行われたオーストラリアジュニアオープンでの決勝戦は忘れられません。大接戦で主催者からも”Titanic Battle”(壮大な戦い)と言われました。
好きな食べ物はちょっとシュールだけどトマトときゅうりと枝豆。青じそドレッシングがあれば無限に食べられます(笑)。同じ夏野菜でもナスは無理。オクラとかネバネバしている野菜もちょっと苦手。でも納豆は大丈夫です。卵料理は半熟感が苦手なので卵焼き一択です。
偏食ですか? お母さんにもコーチにも「強くなりたいなら食わず嫌いはしない!」と言われるし、体力面の強化は以前からの課題なので結構頑張っているんですけどね……。大好きな甘いものもなるべく控えているし、できればシェイクとか飲みたいなぁ〜!!


心も身体も大きく変化する時期。弱い自分を乗り越えて、夢に向かって力強く羽ばたいてほしい。毎日のハードなトレーニングはそのための礎づくりだ。
お母さんはスカッシュにも勉強にも厳しい人。私もつい怠けてしまうから、厳しく言われることでやる気が出てくることもよくあります。それに指摘されることは後から振り返るとちゃんと向き合ってくれているんだなと思うことばかりで、心強い存在です。お父さんは優しいけれど実は怒ると怖い。仕事も大変そうなのに私のケアもしてくれて、我が家で一番頑張っている人だと思います。お姉ちゃんは一番尊敬している人。お姉ちゃんがいたからくじけそうな時も頑張ってこられたし、将来の夢も明確になりました。
スカッシュでの目標はいつかオリンピックに出場すること。そのために毎週筋肉痛になりながら厳しいトレーニングに励んでいます。余裕はないけれど、もし自由な時間ができたら友達と遊びに行きたいな。スポッチャとかではしゃいで遊ぶのが好きです。
私はインターナショナルスクールに通っていて、今年からもう高校生扱いなんです。勉強も一気に大変になるし、高校卒業後の進路についても話題に上がることが増えました。薬学を学べて、スカッシュ部も強い海外の大学に留学したいと考えていて、勉強も頑張らなきゃって思っているところです。
※2025年8月 公開

















