vol.16男子ソフトボール
[後編]

松尾唯斗さん(18)長崎県立大村工業高校所属百合子さん

2022年の全国選抜大会とインターハイでともに1番バッターとしてチームの優勝に貢献した、大村工業高校ソフトボール部の松尾唯斗さん。ソフトボール選手としての将来も有望でしたが、卒業後は類い稀な運動神経とセンスを生かし、ボートレーサーという夢にチャレンジします。取材中は副キャプテンらしくしっかり話してくれましたが、心のなかに潜む想いを語るのは少し苦手そう。でもそれは軽口をよしとしない真面目な性格ゆえ。レーサー向きの小さく引き締まった身体にいっぱいの闘志を燃やしています。

技術だけじゃない。心を育ててくれた大村工業。

大村工業に入ったのは2つ上の兄の影響です。大村工業は日本一を何度もとっている強豪校ですから、自分も兄のようにソフトボールをしたいと憧れて選びました。

入ってみて一番感じたのは結構厳しいということです。特に、整理整頓や礼儀作法、挨拶など人間性に関わることは高いレベルを求められるので、先輩方のやり方を真似して身につけていきました。それから、大村工業には「気づき、考え、行動する」“3K”と呼ばれるスローガンがあり、その解釈については先生からよくお話がありました。指示される前に動くことをモットーとしているので、練習も選手だけで始めますし、メニューも自分たちで決めてお昼休みに先生に報告に行きアドバイスをもらうというスタイルでやっています。よりよくするためにはどうしたらいいか、選手同士で意見を出し合う雰囲気があって、こういうソフトボールに一見関係のなさそうな部分を大事にしているのが、大村工業の強さの理由かなと思います。

一番好きなお母さんの手料理はこの日のお弁当にも入っていた「唐揚げ」。唐揚げはどちらかというと食が細いタイプである唯斗さんの食欲増進剤だ。ボートレーサーの試験に向け減量中の現在は登板数が控えめになりつつある。

自分たちらしさ全開で掴んだインターハイ優勝。

今年のメンバーは、試合ではすごい頼りになるんですけど、オフでは一緒にはっちゃけられる楽しい仲間です。大きい選手、突出した選手がいない学年でしたが、チーム力がありました。

レベルの高いメンバーに囲まれて、自分も苦手な守備の練習を頑張りました。昨年からベンチ入りはしていたけれど結果が出ず、新チームになって責任感が生まれてから、いろんな面で成長できたなと感じています。

インターハイは特に決勝戦が印象に残っています。対戦相手の新見高校(岡山)はピッチャーが世代最速と言われている好投手で、そこをどう切り崩していくかがカギでした。下位打線がセーフティーバントで塁に出て、盗塁し、またセーフティバントして、相手のエラーで最初の1点をもぎ取りました。そこからは自慢の強打に火が付いて追加点を挙げました。持ち味である機動力、そして一人ひとりがその時々にやるべき仕事をしっかり果たして繋げていくという、自分たちらしさが一番出た試合だったと思います。

松尾家のソフトボール熱の原点は父家和さんにあり。1991年に開催された全日本小学生男女ソフトボール選手権大会では、「愛野暁」キャプテンとしてプラカードを持って入場した。

ずっと支えてくれた家族と見る、次の夢。

ソフトボールで全国制覇できたのは家族のおかげです。 父はソフトボールに詳しく、子どもの頃からずっと親身にサポートしてくれました。優しいけれど悪いことをしたらしっかり叱ってくれます。中学の時に友達とふざけて学校の壁に穴を開けてしまった時はかなり怒られました(笑)。母は、おっとりしていてちょっと天然っぽいのですが、食事中は優しく「食べんと?」と苦手な野菜を食べろと促してきます。兄は共通点が多く副キャプテンを務めていたのも一緒だから、特にチームをまとめる際に悩むことがあると相談に乗ってもらっていました。妹はちょっと年が離れているんですよ。時々遊び相手をしてあげるんですがリフレッシュできます。

ボートレーサーを意識したのは高校になってから。父に「ボートレーサーになれ」と昔から冗談っぽく言われてきましたが、いざ冷静に考えると「確かに向いているな」と思って。生で観たらすごい迫力でワクワクさせられました。ボートレースの世界はまだ分からないことばかりですが、峰竜太選手の動画を見たりして気持ちを高めています。

もうすぐ試験があるんです。それまでに体重を2キロほど落とさなきゃいけなくて、最近はソフトボールをしていた時とは真逆の方向で食事に気を使っています。母が言うように、野菜も食べなきゃいけませんね。

弁当作りの苦労が吹き飛ぶ嬉しいメッセージ。「恩返し待っとって!」にグッとくるけれど、振り返ってくれるのは時々でいい。才能を生かし努力を弛まず、どこまでも羽ばたいてほしい。

※2022年11月 公開